礼拝説教「救いへの第一歩」2021年06月13日

ローマ人への手紙を建築物になぞらえて解説されている方が おられ、わかりやすいので、取り入れてみたい。

岡山県ではシンボ ル的に「塔がついた建物」が多いので「塔」つきのを設計中である。 先週のところまでは、パウロの挨拶が書かれてあり、いわば「玄 関」である。そこには「「わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ 人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の 力である。」1:16 といういわば「表札・テーマ」が書かれてあった。

今日の 1 章18 節から 5 章の終わりまでは、本館1 棟で<救い> すなわち<義認>についてかかれてある。 その救いの第一歩となるものが、「自分が罪人であるという 自覚」聖書用語でいえば、「認罪」である。今日のところでパ ウロは異邦人の罪を指摘している。 十字架によって<救い>が明らかにされたが、罪にある世 界には<神の怒りが>明らかにされているのである。 「 神の怒りは、不義をもって真理をはばもうとする人間の あらゆる不信心と不義とに対して、天から啓示される。」1:18 とあるが、原文の聖書には、「 というのは」が最初について いる。

十字架による真理が明らかにされ、その真理の光によ って暗やみがはっきりと映し出されているのである。 神の怒りの表れである暗やみとはどんなものか。

1 思いはむなしく(虚無) 21 節

2 無知な心は暗く(暗さ) 21 節

3 偶像礼拝(欲望) 23 節 私たちにとっても自分の暗やみ、罪を認めることが救いの 第一歩となるのである。