礼拝説教「最後の晩餐」2021年04月18日

「取って食べよ。これはわたしのからだである。」
「みな、この杯から飲め。 これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。」

この二つのことば、「最後の晩餐」での主イエスの約束だ。鳴戸市にある大塚美術館に原寸大のレオナルド・ダヴィンチの「最後の晩餐」の陶器製レプリカ(複製品)を見た。補修前と後と 2つあり、触ることも出来て、非常に興味深い。ただ、主イエスの時代は、テーブルと腰掛けではなくて、ひじをついての格好だそうだ。

ここでは、最後の晩餐がイスカリオテのユダの裏切りと結び合わせて書かれてあることに注目したい。主イエスは自分を裏切ろうとしているユダと共に、この席につき、「わたしと一緒に同じ鉢に手を入れているが裏切ろうとしている」と話された。ここでは、主イエスがユダに悔い改めの機会を与えようとされているのではないかと思う。

ユダは後で「後悔」をして、みずから命を絶ってしまう。私たちも「あの時にあれをしていたら、していなくては」という後悔してしまう時があるのではないか。

私たちにとっては、「後悔」を自分の前に置くのではなくて、主イエスが私たちのために、聖餐のパンとぶどう液を備えてくださったという主の約束と悔い改めを前に置くことが必要ではないかと思う。ユダがどうなったかについてなど色々と疑問が多くあるが、私たちは「さばき主」であるお方におゆだねしていきたい。そうして、私に明らかにされている十字架と復活の福音に生き、分かち合うものとさせて頂きたい。