礼拝説教「石はすでにころがしてあった」2020年05月24日

「女たちはおののき恐れながら、墓から出て逃げ去った。そして、人には何も言わなかった。恐ろしかったからである。」(マルコ 16 章8 節)

 キヤンベル・モルガンという説教者が「キリストの危機」という本の中で、イエスの生涯における危機を取り上げています。それは、誕生・
バプテスマ(洗礼)・サタンによる誘惑・山の上での変貌・十字架・復活・昇天」です。
今日の聖書箇所は、主イエスの「復活」場面で、主イエスの生涯での一番重要な出来事いう意味での「危機」の時であったのです。

 今日の聖書書箇所で登場するのは、マグダラのマリヤをはじめ三人の女性です。彼女たちの一番の心配は「だれが墓の石をころがして
くれるでしょう」というものでありました。遺体に香料を塗るためであったのです。
とが、このイースターの朝「石はすでにころがしてあった」のです。非常に大きな石でした。主イエスは私たちの初穂として復活され
たのです。

 分散礼拝が始まった時に、エルサレムにある主イエスの空の墓といわれる所の上に建てられた「聖墳墓教会」のことを話しました。私た
ちの教会、礼拝は、「空の墓の上」つまり「復活」という出来事の上に建てられているのです。この復活の主イエスは、教会だけでなくて、家
庭でも、ひとりで亡くなる時も共にいてくださるのです。これが福音なのです。
さてこの女性たちはどのように、このニュースに応答したでしょうか。「人には何も言わなかった。恐ろしかったからである。」このマルコに
よる福音書は「恐ろしかった」で終わっていのです。ある牧師がこの所をこのように語っています。「死者の中から、主をよみがえらせること
が出来るのは、神のほかにないはずであります。それなら、復活は何よりも、その神の御業をおそれることから始まるのではないでしょう
か・・。」
 
 今、私たちは、新型コロナウイルスという「恐れ」の中にあります。マルコによる福音書では、この「恐れ」が福音にある「喜び」に変えられ
て、その拡散が始まっているのです。
9 節以下は、【 】カッコの中に入っています。ある聖書の小見出しには「結び」とあります。9 節以下の出来事は、初代教会がこの主イエ
スの復活とその「マリヤたち恐れが」どのように展開し「結び」を生んだかが書かれてあると言っていいでしょう。
先週、柵原で満八九歳で召天された方の納骨をしました。式の後で記念写真を撮りました。みんなマスクをしての姿でした。後で見たら
すぐに「ああ、あのコロナの時だ」と思い出すでしょう。家族も面会できないような最期でしたが、そのような中でも感謝な「結び」が生み出さ
れたのです。

(祈り)「石はころがしてあったのです」この復活の出来事が、「恐れ」から「喜び」のメッセージとなりますようにしてください。来週はペンテ
コステですが、共に集まって祈り礼拝することが出来ることを信じ待ち望ませてください。