礼拝説教「神の与えた恵みの報酬」2021年02月07日

主イエスが、ガリラヤでの宣教を終えて、エルサレムへの旅路の中での出来事の続きです。

主イエスの弟子たちは、「わたしたちはいっさいを捨てて、あなたに従いました。ついては、何がいただけるでしょうか」。と質問しました。天国での報酬というか、報いを願っているのです。そうして、主のために従う者にこの地上の祝福と永遠の生命を約束されたのです。その後で「なぞ」のことばを発せられたのです。
「しかし、多くの先の者はあとになり、あとの者は先になるであろう。」(マタイ 19 章30 節)

神が与える報酬は、人間が考えるものとは違うのです。まさに「常識はずれ」ものであると表現できるかもしれません。それが、今日の聖書箇所のマタイ 20 章で、「ぶどう園の労働者
のたとえ」です。このたとえでぶどう園の主人は、朝早く雇われた者、9時頃雇、12時頃、3時頃、そして最後の夕方の5時頃雇われた者にも一日分の報酬1 タラントを与えたのです。
最初人から順番に「ご苦労さん」と言って渡していたら問題なかったでしょう。しかし、最後に働いた人から、報酬を配ったのでした。朝から働いた人は、「ほとんど働かなかった人が 1 タラントもらったか、自分はもっともらえるかな」と思ったのです。そうして主人に文句をいったのです。その時にぶどう園の主人は「わたしが気前よくしているので、ねたましく思うのか」と答えます。マタイ 20 章 15 節

この「気前がいい」ということばは、他の所では「良い、優良な、幸福な、善い」ということばです。
これが主イエスを通じて私たちにも与えられている「祝福・恵みの報酬」なのです。