礼拝説教「私たちの目には不思議なこと」2021年03月07日

十字架を前にして主イエスは、律法学者やパリサイ人に対して警 告とも言える3つの譬えを話された。

一つはある人が「子よ、きょう、ぶどう園へ行って働いてくれ」と息 子に願ったが、片方は「行く」と言ったが行かなかった。片方は「行 かない」と言ったが、心を入れ替えて働きに行ったというものです。 「心を入れ替えなさい」という悔い改めへのメッセージである。

二つ目は今日のテキストで、ぶどう園の主人、英語でいえばオー ナーが、ぶどう畑を農夫たちに貸して、旅に出かけたという譬えだ。

この譬えでは、普通ありえないことが記されている。

収穫の時期になって、その分け前を受け取ろうとして、僕たちを 農夫のところへ送ったが、その農夫たちは、その僕たちをつかまえ て、殺してしまう。別の僕たち送るのだが殺されてします。そうして 最後には何と自分の子どもを遣わすのだ。

これは、私たちの世界では考えられない、主イエスがこの地上に 遣わされて、十字架で死をとげる。この十字架を通じて、以下の旧 約聖書の約束が実現するのだ。 『家造 り ら の 捨て た 石 が 隅 の か し ら 石 に な っ た。こ れ は 主 が な さ れ た こ と で、 わ た し た ち の 目 に は 不 思議 に 見 え る』。 (マ タイ 21 章 42 節)

「隅のかしら石」は「隅の親石」「礎の石」「要の石」とも翻訳されて いる。十字架と復活は、家にとってなくてはならないも「親石」とな る。これは、警告であると共に「招き」でもある。

三つ目の譬えは、一人の王が王子のために結婚の祝宴に招か れた人たちが描かれている。ここで、注目したいことは、この宴に出 席するための「礼服」である。すべての人が招かれているが、十字 架によるあがないの服が必要なのである。