礼拝説教「花婿を迎えに出なさい」2021年04月04日

今年は、イースターの特別な行事は出来ないけれど「イースターおめでとう!」と心より挨拶をしたい。それはどんな状況の中にあっても復活の主イエスが共にいてくださるからである。

今日の聖書箇所は、復活の主がもう一度こられるという「再臨」についての主イエスの譬えである。再臨の主イエスを待つ姿が、花婿を出迎える 10 人の娘たちに譬えられている。
花婿がなかなか戻って来ない。そのうちに暗くなり、何と夜中になってしまったのだ。これは、初代教会の人たちが「主イエスは自分たちが生きている間に来られるのではないか」と思っていたが、なかなか来られないという状況と似ている。夜中に帰ってきた花婿を迎えるために、ともしびを準備するのだが、賢い娘たちはともしびと共に油を用意してあったのだが、愚かな娘たちは、準備していなかった。

ここで「どうして?」と思ってしまうところがある。「油をわけてください」という娘たちに対して断りのことばが出てくる。これは、人間には、人に分けてあけられるものとどうでないものがあるということではないか。最後にこう書かれてある。「だから、目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである。」マタイ25章13 節

このたとえ話では賢い娘たちも、愚かな娘たちも眠ってしまっている。では「目をさましている」とはどういうことであろうか。

黙示録に「裸の恥を見られないように、目をさまし着物を身に着けている者は、さいわいである」とある。黙示録16 章15 節

「目をさましている」とは救いの衣を着せて頂き、準備していることである。また祈りと結びついて書かれていることが多い。