礼拝説教「黙示録における幸い」2022年03月20日

黙示録から共にメッセージを受けている。来週で最後なの であるが、今回は 3 つの「さいわいである」ということばを 通じて黙示録の前半を振り返ってみたい。

まずは礼拝において「主の約束を朗読するさいわい」であ る。この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて、その中 に書かれていることを守る者たちとは、さいわいである。時 が近づいているからである。1 章3 節

この黙示録は、「これから起こること」についてヨハネが 啓示されたことが書かれてあるが、それと同時にこれが、黙 示録に出てくる教会への手紙であり、その教会で「朗読」さ れたものである。将来のことだけでなくて、この手紙を朗読 する者への現在的な約束であり、祝福であることを覚えたい。

次に<迫害の中>という厳しい戦いの中での「さいわい」 が書かれていると思う。『今から後、主にあって死ぬ死人は さいわいである』。御霊も言う、「しかり、彼らはその労苦 を解かれて休み、そのわざは彼らについていく」。14 章13 節

この黙示録のでは、地上での色々な戦いの中で絶えず天上 での礼拝が描かれている。この14 章は、天上での14 万4 千 人の賛美の後での<さいわい>である。

このコロナとの戦いの中でも、葬儀をさせて頂いた。葬儀 という悲しみの中でも、主イエスの十字架と復活との約束を 頂き、「主にあって、死ぬものは幸いである」とメッセージ させて頂いた。

最後に、主イエスにお会いする準備が出来るという <さいわい>である。その準備とは、イエス・キリストにあ っての救いの衣を着せて頂くことである。見よ、わたしは盗 人のように来る。裸のままで歩かないように、また、裸の恥 を見られないように、目をさまし着物を身に着けている者は、 さいわいである。16 章15 節