礼拝説教「~ねばならぬからの解放」2021年08月08日

パウロは「わたしは自分のしていることが、わからない。 なぜなら、わたしは自分の欲する事は行わず、かえって自分 の憎む事をしているからである。」ローマ 7 章 15 節 と叫 んでいます。これが、パウロがキリストに出会い信仰を持つ 前か、それとも持った後なのかということが議論されてきました。 私自身としては、信仰を持った後でもある私たちの罪と の戦いでの叫びではないかと思う。「~しなければならな い」という思いが私たちの生活を縛ってしまうことがある と思う。

先日、県北の牧師会が柵原教会で月曜日にあった。ちょう どワクチンの二回目の接種予定日で、「接種を別の日にして ください」と頼んだが「ワクチンを別の日に振り分けること は出来ない」と断られた。「時間が遅くなっても同じ日なら ばいいですよ」ということで、牧師会が終わってから柵原か ら倉敷に車で急いで向かった。 信号が黄色から赤になり、いつもならば止まるタイミン グなのに、前方を見て、「ええい!このくらいならいいや」 とそのまま右折した。「ああ、早く着かなくちゃあ!という 思いに支配されている」と反省して、急いではいるが、いつ もの運転に戻った。

パウロはローマ書7章6 節と8章1節で、イエス・キリス トのあがない、ゆるしによって、私たちが<新しい時>に生 きていることを宣言している。 「しかし今は、わたしたちをつないでいたものに対して 死んだので、わたしたちは律法から解放され、その結果、古 い文字によってではなく、新しい霊によって仕えているの である。」ローマ7 章6 節